仕事仕事の日々からのフラストレーションと、後輩たちがどんどん上手くなっていくことへの焦り。そして外国人の演奏にカルチャーショックを受けてドイツ行きを決心した私。
ここまでの話はこちら→ショックでドイツ行き決定
準備万端のつもりが。。
そして、ついにドイツに到着。コントラバスとスーツケースを抱えては身動きが取れないと想定して、焦らないために空港ホテルで一泊。時間に余裕を持って列車に乗り込んだ。つもりでした。。
ドイツの駅には改札がなく、乗ってから切符のコントロールがあるのですが、そこでなんと全然違う列車に乗っていたことが発覚!そして「途中の小さな駅で途中下車すると更に面倒になるから、終点のザールブリュッケンまで行きなさい」と駅員さんにアドバイスされました。
フランクフルトからザールブリュッケンまで約180キロ。えらい遠くまで行きました。。それでもそこまで危機感を感じてなかったのは、日本を発つ前に知り合いから、ザールブリュッケン在住のコントラバス奏者の方の電話番号を聞いてたのが頭の片隅にあったからでした。
一度も会ったことがない方でしたが、もうどうしようもないので勇気を出して電話してみることに。ありがたいことにとても親切にしてくださり、トントン拍子(?)と言っていいのかわからないけれど、そこからフランクフルト在住のコントラバス奏者の方を紹介していただきました。
海外で持つべきものは、”日本人の知り合い”なのです。それがどんなに薄くて細い糸のつながりであっても、異国にいると頼りたくなるし、逆の立場でも助けたくなるものなのです。だから、これから留学を考えている人たちに「みんな安心して!」と言いたいです。
そんな繋がりで私は、紹介していただいたコントラバス奏者、野田さんからホストファミリーの家まで連れて行ってもらい、そのまま野田さんの元でレッスンを受けることになったのです。しかし、楽しい日々を送りながらも困難はまだまだ続くのです。。。
フランクフルトでは語学学校に通いながら、いろんな街の音大の先生のところに弾きに行ったり聴講に行ったりしました。まずはもちろんフランクフルト、マンハイム、シュツットガルト、ケルン、デュッセルドルフ。。
フレンチボウへの興味
突然押しかけていったにもかかわらず、ご飯をご馳走していただいたり、どの先生も親切でしたが、これで良いのかという迷いと自信のなさから決断できずにいました。そのうちにフレンチボウにも興味が出てきて。。
野田さんの弾くフレンチボウは、とてもエレガントに見えたのです。弓を大きく使わなくても音が出せるし、ある意味”これぞジャーマンボウ”みたいな必死感が全く無い。「コントラバスってこんなに軽く弾けるの?」って思いました。
結局、フランクフルトでプライベートレッスンを受けていた野田先生任せというか、先生の勧める唯一のエッセン音大だけを受けることにしました。そこにはフレンチボウの先生がいらっしゃったのです。
試験の前には、エッセン音大のニック先生のところへレッスンに行き、時間がないながらも一応準備して臨みました。そして無事終わったのですが、空きがなく2年も待たなければならなかったのです。日本で大学を卒業してからきていた私にとっては2年は長く、先生も別のところを受けてすぐにでも学業を始めた方が良いという考えでした。
そして、すぐにニック先生から紹介されたデュイスブルグの先生のところへ行き、1週間後にまた試験を受けたのですが。。これがまたとんでも無いことに繋がり、ショックは更に大きくなりました。
そのとんでもないこととは↓
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