最初は問題勃発
13年のドイツ生活の中で、住んだ場所は3都市あります。金融都市で都会なフランクフルト、グーテンベルクの活版印刷で知られているマインツ、そして文化都市ワイマール。
フランクフルトは、外国人も多くインターナショナル。治安が悪いと聞いてたのでドキドキしてましたが、住んでみるとそうでもなく、他の都市に比べて外国人が珍しがられないので、その点では住みやすかったです。
日本食レストランや日本人経営の日本食品スーパーもありましたしね。個人的には、田舎だけど綺麗な街、そしてゲーテ、シラー、リストとも馴染みが深いワイマールが一番好きですが。
私は、それまで他人と同居したことがありませんでした。(日本人はこれが普通だと思いますが)、最初はホームステイだったのですが、相手が外国人をいうことを構えすぎたのか、どう接していいかわかりませんでした。どうしても顔色を見て、遠慮してしまったりするので、思ってることが伝わらず苦労しました。
人の顔色を見てしまう
最初のホームステイ先では、こんなことしてどう思われるだろう?とか、この人たちに好かれるためにどうしたらいいの?とかばかり考えて、どんどんしんどくなっていってました。
そして、そんな時にはいつも「何も困ってないよ。」風に愛想笑い。。。実は、「この状況察してよ!なんか手伝ってよ!」とか思っていた自分。でも、ドイツ人には、そんなことは全く通じない。お互い不満が溜まる。。。
もうどうして良いかわからず、どんどん負のスパイラルに陥って、ホストファミリーとの会話もなくなっていき。。。毎日ドヨーンとしてました。
もう居た堪れなくなって散歩に出かけたら、同じ語学学校の日本人にバッタリ出会って、とりあえず意気投合(?)しました。でも、そんなどんよりしているときに意気投合する人って、やっぱりどんよりしたものを持っているもんなんですよ。
彼は、普通は6ヶ月もらえるビザを3ヶ月しかもらえなかったり、何もしてないのに隣に部屋の住人からしょっ中クレームきたり。そのうち、自分も不幸な道に引っ張られるような気がして。。。これはあかん!と思い、自分なりに解決法を探すことにしました。
はっきり言わなければ伝わらない
語学学校では、ドイツ人の先生や他の外国人との交流があって、次第に日本人以外の外国人の特徴がつかめていきました。外国人には、思っていることをはっきりと言わないと分かってもらえない、ということにやっと気づきました。顔色でとか、雰囲気で察するとかは通用しなかったのです。
こんなにはっきりいうと嫌われるかな?とか、傷つけてしまって変な空気になってしまうかな?とか、考える必要は全くありません。ぶつかることはあっても、とことん話して解決。もしくは吹っ切れて、次の日からは何もなかったかのように仲良く話す、みたいなのがほとんどです。ホント欧米人は、いい意味で単純、そしてどストレート!!
割と自分は自分、人は人という考え。自分の意見をしっかり持ってるのですが、他人の意見も受け入れる器があります。なので、ぶつかって喧嘩になってもドロドロしたり、第三者も同様に敵になって虐めたりということがないのでしょうね。
親切の価値観
日本では、察することが結構大事で、すぐに言葉を飲み込んでしまう場面が多いですね。「日本人は、困ったことがあると笑うよね?でも、僕らにはその意味がわからない。困って大変なのになんで??」と先生が言ってたのを聞いたこともあります。
そう考えてみると、日本では何も言わなくても、誰かが助けてくれることよくあったなと思います。でも、ついついおせっかいしてしまう事もあるんですよね。
それでいうと、ドイツ人は、「自分でできることは、自分れやれ!」というスタンス。普段は、親切を買って出ない。例えば楽器を担いで別校舎に行かなければならなかった時、「上り坂が大変だから車に一緒に乗せて!」と頼んだら、コントラバス奏者なら、それくらいはやれ!と言われましたし。これは、「この人ならそれくらいはできるだろう。」と相手が判断したこと。まあ私、よくコントラバス担いでましたし。
でも、本当に困っているときは(本当に困っていると判断された時)、見返りを求めず無償で助けてくれます。この時の親切は、本当にありがたいと思えたし、無償で人を助けられるってすごいなあと思いました。これは、キリスト教の国で神を信じるからでしょうか??私はそんな風に思えました。
でもそれは、どちらが良いとかではなく、それぞれ良いとこも悪いとこもあって、その時々、その時目の前にいる人々によって、柔軟に対応していけるのが一番なのでしょうね。「郷にいれば郷に従え」ということか。。
ドイツの国民性をさらに感じたことはこちら↓
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