初めまして、コントラバスの中野由香です。
県立石山高校音楽科、相愛大学音楽学部 器楽学科 コントラバス専攻。フリーランスのコントラバス奏者、音楽講師を経てドイツに留学。13年年間の滞在のうち、ワイマール フランツ・リスト音楽大学でコントラバスと初等音楽教育専攻。 ワイマールのチューリンゲン州立音楽学校で子どもにコントラバスを教える。コントラバスを西出昌弘、奥田一夫、林俊武、野田一郎、ホルスト・ディーター・ヴェンケルの各氏に師事。
こんな経歴ですが、実はスムーズにいったわけではなく紆余曲折はこちら↓(笑)
ピアノからのスタート
従姉妹のピアノに憧れて3歳よりピアノを始める。小学高学年になるにつれて、やるからには人より上手くなりたいという思いが芽生えるのですが、結果この「人より」が挫折の始まりとなってしまいました。
続けるモチベーションには繋がったもののプレッシャーも大きくなり、発表会でどうしても弾きたかったベートーベンの「エリーゼのために」を暗譜で挑むも止まってしまい、トラウマになってしまいました。
中学時代に出会ったピアノの先生から高校音楽科を勧められ、最初は自分の意思はなく夢も特になかったけれど、流されるがままレッスンを受けているうちに「ピアノでやってみようかな…」という考えになり、とりあえず受験は頑張って石山高校音楽科に進学。
(トラウマとか色々ありつつもバンドは楽しかった!)
ここからやっとコントラバス!
ところが、せっかく入った音楽科でしたが、ピアノ専攻のレベルがかなり高く、相当頑張らないとついていけないと先生から言われ、別の楽器への転科を勧められました。
ピアノがダメなら中学時代に吹奏楽部で吹いていたクラリネットか?と検討するも、大学卒業後の需要が少ないことなどから、音楽科の先生は「それなら管楽器よりも底弦楽器にしたら?」
第2希望のコントラバスは、深く考えず少し弾いてみたいという軽い気持ちだったのですが、コントラバスに向いている手をしている(らしい)とのことから、こちらはめちゃくちゃ勧められた。(何だか複雑…)
ピアノは好きだったため、毎日2時間ほど練習(コントラバスの練習よりもはるかに多い)。高校に入り第1回目の副科ピアノ試験では、副科の中ではかなり良かったと褒められた。までは良かったけれど、またこれがプレッシャーとなり2回目の試験で失敗。トラウマがさらに大きくなる。
逆にコントラバスは、もう一人の専攻生が中学で経験者だったため、自分は彼女を超えられないという諦めがあり、ゆる〜くちょっとずつ何とか成長。結果定期演奏会に出演できました。
高校の恩師、西出先生のレッスンは雑談が多く、腑に落ちなかったコントラバス専攻も楽しく続けられました。(西出先生のぶっ飛んだ昔の話が本当に面白かった!)
先生のいる大学に行きたかったのですが、3大学受けて先生のいない相愛大学だけ受かりました。けれど、そこで出会った奥田先生と林先生も素晴らしい先生で、オーケストラでの弾き方をたくさん学びました。先生は二人とも、とても優しくて親切で大変お世話になりましたが、それをいいことに甘え切ってしまってました。(反省)
相愛大学オーケストラでは、何ヶ月もかけて皆で1曲を作り上げて行くスタイルだったので、思い入れも強くなり、最初の定期演奏会は感動で一晩眠れなかったのを覚えています。
コントラバス専攻性ひとりだけ。。。
大学では、コントラバス専攻性が少なかったこともあり、大学内のいろいろな形態のオーケストラ、有志のジャズオーケストラに引っ張りだこに!
毎日のように、合わせ、リハーサルを繰り返す日々・・ 多忙だけど弾けまくりの充実した生活を送ることができました。
一方で、同じころ、知り合いの紹介で「6歳の子にピアノを教えてくれない?」と依頼があって、不安はありつつも「また、ピアノに携われる!」という思いもあったのピアノのレッスンを見てあげることに。
すると、予想外に口コミで生徒数が15人にも増えてしまい、時間に追われる日々に。汗
コントラバスでは、いろんなアンサンブルの合わせ練習で駆けずり回り、隙間時間にピアノのレッスン。こんな生活をしていたら、コントラバスの自分の練習が疎かになり、卒業間近になって、さあどうしよう??(@_@)
とりあえず、この時点でプロオケのオーディションを受けようなんて思っても見なかったので、ピアノ講師と母校のオーケストラ、子供の音楽教室や高校非常勤講師を務め生計を立てていました。
そんな中、本当に自分はこのままでいいのか??という疑問が大きくなっていきました。
ドイツ留学も紆余曲折
仕事と周りを気にしながらの生活で、毎日疲れ切っていた生活にそのうちフラストレーションが溜まり、お金と時間をもっと自分のことに使いたい!と思い、いきなりドイツへ留学しようと決心。
決めたものの計画性の無さから、時間がかかった上に紆余曲折を経て、やっとワイマール フランツ・リスト音楽大学に辿り着きました。
しかし、ここでもトントン拍子に上手く行くことはなく… コントラバスのホルスト・ディーター・ヴェンケル先生は、コンクールに入賞するようなすごい生徒を何人も手がけている素晴らしい先生と言われていました。
しかし、とにかく厳しい。その厳しさが、もう尋常では無いのです。自分では相当練習したと思っていても、できてないと言われ、レッスン途中で追い出されたり… もうこれ以上は何も言えなくなるとこまで詰められたり…
何も言えなくて悔しくて何度も泣きました。最後は、これに耐えられなかったらプロのオーケストラではやっていけない、と言われ納得はするも… ほんとうにしんどかったです。
そして今は、(先生に感謝はしているけれど)反面教師として、一人一人の個性を尊重し、困難なことがあっても温かく寄り添って、生徒を育てていきたいという思いが強くなりました。
初等音楽教育の授業はコントラバスと正反対
同時に専攻で取っていた初等音楽教育は、失敗を否定するのではなく学びや発見への繋がりといった教えを学びました。羞恥心や怖さを捨てることができ、人と人、人と音楽の隔たりを無くしてくれるような楽しい授業。
詳しい授業内容はこちら↓
マリアンネ・シュテッフェン・ヴィテック先生もフランクで話しやすく何でも受け入れてくれる人柄で、本当にお世話になったし、音楽は楽しむものだと改めて実感しました。
コントラバスと初等音楽教育、性格は両極端の先生方に着きましたが、結局は厳しさも緩さもどちらも必要。常にアンテナを張って、厳しさ、緩さの度合いを考え、一人一人、その時々に合ったレッスン方法を見つけなければと思っています。
(ドイツ人の生徒がササっと描いてくれた絵↓ドイツの子どもはモンスター好き)
帰国して思う
帰国後は、日本のクラシック音楽への敷居の高さに大きな壁を感じ、一時は音楽を諦め、いわゆる普通の仕事につきました。そこで学ぶこともたくさんあったけれど、また音楽で、今まで学んできたものを伝えていきたいと強く思うようになりました。
現在は、クラシックだけでなく、ジャンルを問わず気軽に音楽を楽しめるレッスン、背が低くても手が小さくても自信を持ってコントラバスを弾けるようになれる個々に合わせたレッスンをしたいと願い、音楽活動に当たっています。
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