フランクフルトから電車を乗り間違えてザールブリュッケンへ。そしてフレンチボウのレッスンを求めてエッセン音大を受けるも失敗。
そこまでの話はこちら→ 電車乗り間違えてフレンチボウにたどり着く
さて、デュイスブルグ音大に試験を受けにいった私がどうなったかというと。。指慣らしのために行った練習室では、場所を代わってくれた学生に「頑張って!」とエールをもらい意気揚々と試験会場に入りました。
ところがいきなり、「あなたは試験を受けることはできません。なぜなら、エッセンとデュイスブルグは同じ音大だから。あなたは、エッセン音大を受験しましたよね?」と。「え?何のこと?そんなこと聞いてない。何が起こっているの?」もう頭の中が真っ白になりました。
ここで日本とドイツの違いを実感
どちらの音大の先生方もそのことは知らず、デュイスブルグのクリスティーネ・ホック先生も親切で、いろいろ考えてはくれましたが結局解決策は無く、お茶して終わりました。
日本ではあり得ないことですが、、「悔しいけど、もうどうすることもできないし仕方ないね。残念だけど次回頑張りましょう!」てな感じで、良くも悪くも諦めが良く後を引かないのがドイツ人。
私の方はもうショックすぎて、、一番のモヤモヤは楽器を弾かせてももらえなかったこと。
こんな時、日本にいた時の私なら、先生が教えてくれなかったからとか、フレンチボウに変えたからとか、誰かや何かのせいにしていたと思います。自分の準備不足なのにね。ドイツ人の潔さにある意味救われました。
でもその後、ストレスとショックとで熱が出て寝込むという惨事。異国の地で病院に行くのは、さらにエネルギーのいることでしたが、幸運にもフランクフルトは日本人も多い街で、近くに日本人医師の病院があるのを通学途中に見ていたため、そこでお世話になりました。
ただ、ドイツの薬は日本人には強すぎて、すぐに熱は下がったものの蕁麻疹が出るという追い討ちがありましたけど。。。
そして体調は何とか回復して、さあこれからどうしよう?となり、このまま何も身につけず日本に帰るのは自分に納得がいかなかったので、とりあえずフレンチボウを習得しようと思いました。
しかし、もう練習にも身が入らず、先生にも「あなた煮詰まっちゃってるでしょ?」と言われ見放された気分になり、もうコントラバスは辞めようと決心したのです。
楽器を辞めたらあとは語学しか可能性は残っておらず、後はとにかくドイツ語を頑張ることにしました。音大受験生はドイツ語中級試験合格の証明があればよかったので、それ以降語学はサボっていたのですが、もうそこからは必死でドイツ語に取り組みました。
必死でドイツ語を勉強してどうなったかはこちら↓
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