電車を間違えてフランクフルトからザールブリュッケンに行ったり、ジャーマンボウからフレンチボウ変たり、また戻ったり。更には、コントラバスを辞めてしまったり、また楽器弾きたい気持ちに駆られたり。。。
なんか人生振り回されてる・・・(苦笑)
そんな【一筋縄ではいかなかった留学記】のこれまでの記事はこちら↓(時系列順♡)
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↓ここから続きです♡
そして、めでたくフランツ・リスト音大コントラバスの入学試験に合格して、学業を始めることになりました。当時の教授はホルスト=ディーター・ヴェンケル氏。(今は当時同じ学生だったドミニク・グレゲアが後継←彼は優等生でした)
優秀な生徒を何人も世に出しているのと同時に、最恐の先生で有名でした。私が想像していた「厳しい」の度を超えていて、本当にいろんな面で怖い先生でした。
ドイツに渡る前に「向こうの教授は、教えるのが中心になってもちゃんと楽器が弾ける」と聞いていたので、見よう見まねでなんとかなると思っていたのですが、ヴェンケル先生のところでは、そうはいかなかったのです。(そして、音楽学を専攻するために必死で取ったドイツ語上級が、何とここで役に立ちました!)
”弾かない”先生に習って良かったことはこちら↓
コンディションを整えて100%の集中力で挑む 弾いてくれない先生のレッスン
ヴェンケル先生の鬼レッスン
先生は、ご病気をされてから楽器は弾かなくなられたようでした。それでもすごい生徒が育っていったのは、細かいところまでしっかり言葉で説明、いやそうではなく、生徒に考えさせるということを重視されているようでした。
できないところは、何がダメなのか、どうダメなのか、なぜダメなのか、徹底的に追求しなければなりませんでした。そして、とにかく細かくて、その上スパルタ!
何と言っても洞察力が鋭かったので、どんなことも見抜かれ、とことん追い詰め(?)られました。そこだけは触れないで!と思っているところに、グサッと突き刺さる、というよりチクチク大量に突き刺さる。
質問されたことに答えても、また言い返され、そしてまた言い返す、この繰り返し。この先生の前では、笑ってごまかすなんてことはもってのほかで、何が逆鱗に触れるかわからないので、いつもビクビクしていました。
言い返したいけどもうこれ以上言い返す言葉が見つからない、というところまで続き、最後は、言いたいのに何も言えないことが悔しくて泣いてました。男子学生でも泣いたことがあると聞いたほどでした。女子学生は、1年か2年で耐えられず辞めていくのを見ています。
鬼のレッスン更に怖かったこと
時には、準備万端と思っていても、全然練習できてないと言われ、レッスン途中で追い出されたり。何が怖いって、「練習できたと思ったら、電話してきなさい。」と、その場で次のレッスン日を決めてもらえないこと。
自分では猛練習したつもりなので、これ以上どんな練習をしたらいいのかわからず、また次も追い出されたらどうしよう?とか、悶々と考える時間が続くのです。
次のレッスンの予定を決めるときに、他の講義が入ってたりして、それを理由に別日、別時間帯を希望すると、「君の専攻は何だ?コントラバスだろう?だったら、他は全部どうでもいい!」と言われたり。自分にとって一番大事なことを優先するのはわかるんですけど、ちょっと極端。。
同期の中国人学生の話(余談)
同時期に学生だった中国人の女子学生がいました。とても性格はいい子で、同じアジア人ということもあり、私にとっては親近感があり、居てくれて安心できました。私よりも背は高かったけど、比較的華奢。彼女は、弾いて引いて弾きまくるタイプ。
彼女のことを先生は、「あいつは馬鹿だから、何を言っても理解してない!」と言っていました。(そんなモラルのないことを言う先生でした。。。)確かにそうだったのですが、ドイツ語をあまり理解してない分、落ち込むこともなかったのかな。
そんな状態で、2年もヴェンケル先生のところにいて、ちゃんと学業終了できた彼女は、ある意味図太くて、強いメンタルを持っていたのかも?と、今では少し羨ましくも思います。
レッスン私の場合 最初の3ヶ月
私の場合最初の3ヶ月間、音階とアルペジオだけでした。その目的は、今までの癖を直すこと。弓の持ち方、楽器の構え方は常に意識して、ちょっと弓が手から外れてきたり、楽器に支えられている(もしくは自分に楽器が偏りすぎ)と感じたら、中断してもう一度1から直す。
そして、音程、リズム、音色を考えながら一つ一つの音を弾いていく。それができたら、今度は全音符から16分音符まで音楽的に弾く。まず、音符上簡単な音階やアルペジオで、音程、リズム、音色を同時に考えてちゃんと弾けるようにしておくと、曲に入った時も自然に身について弾けるようになるとのこと。これは本当にそうでした。
ヴェンケル先生 鬼レッスンの理由
卒業試験間近で先生から聞かされた厳しく接した理由は、「ドイツでプロのオーケストラでやっていきたかったら、この厳しさに耐えられなければ無理だよ」とのことでした。納得はできるんですけど、、、本当にきつかった。
実は、もう無理だと一度大学を変えようと思ったことがありました。それで、実際に別の音大の先生のところに行ったてみたりしたのですが、レッスンを受けてみると、やっぱりヴェンケル先生のレッスンは、内容が濃くて他は物足りなく感じたのです。
でも辛い。辛くて心の余裕もない。葛藤しながら、何とか友人に相談しました。
鬼が辛くて辞めようかと思った
そして日本人の友人は、「今は辛くても一生は続かないし、いつか終わりが来るよ。」と言ってくれて少し楽になりました。
ドイツ人の友人は、「何か得るものがあるなら頑張れ。教授は生徒を見捨てるような人じゃないから。でも辛いだけなら辞めろ!」と。この助言、一見冷たく聞こえるけど私には心に響きました。
そして考えた後、同じコントラバス専攻生は同じ境遇で、話せば辛さもわかってくれるし、レッスンの内容はやっぱり素晴らしいし、自分は上達してるし、辛いだけではないと思い、最後まで続けることができました。
辛さも最後は良い経験
今では、ヴェンケル先生は最恐で嫌味もたくさん言われたけど、自分には必要だったことと受け入れていますし、先生に感謝もしています。「あなたには正確さがない!」とよく言われてましたが、そこも大分改善されたと実感しています。
でも、嫌味も厳しいツッコミももっと素直に受け止められていたら、もっと吸収できたのにとも考えますけど。何はともあれ、まずは2年間耐え抜いた自分を労ってあげたい。そして、有効にこれからのレッスンに活かしていきたいと思っています。
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