紆余曲折した末、コントラバスを辞めてしまい、ドイツ語に専念。ふとしたきっかけでまた楽器が弾けるかも?!と。
そのドイツ語上達の経路はこちら→ 変なルートでドイツ語上達?!
そして、実技を伴った音楽学専攻を求めてマインツからワイマールに移り、やっとまた楽器ができる!!とワクワク。住んでいた学生寮には、練習室もあったのでコントラバス練習も再開し、有志のオーケストラでも弾いたりしていました。そして、後にコントラバス専攻性になるまでは、学生にコントラバスを習いました。
生徒にコントラバスを教える授業
ドイツ国内どの音大も同じ教育システムかは分かりませんが、ワイマールのフランツ・リスト音大にはFachdidaktik(科目教授法)という授業があります。(講義のようなニュアンスのDidaktikという単語をヴェンケル先生は嫌い、私たちはMethodik(方法論)と呼んでいましたが。)
それは、楽器や声楽専攻生が、教える立場になってレッスンをする授業で、実際に生徒を教えるところを先生に観てもらうのです。
私もまだ音楽学専攻生だった頃、楽器の方は趣味程度に弾いていました。そんな私を生徒を探していた、クレメンスというコントラバス学生に見つけられました。こちらもタダで教えてもらえるなら一石二鳥と、すぐに彼の生徒になることに決めました。
コントラバスの教授はめちゃくちゃ怖いという噂で、その影響もあってか、ちゃんと週1回本気でレッスンしてくれました。
このクレメンスが学生とは思えないほど良い先生で、多くのことを彼から学び、ここで一気に上達しました。そして、なんていうかメンタルのケアも同時にしてくれるというか人間性も素晴らしく、飴と鞭の使い方が本当に上手でしたね。そして、この人には何があっても見捨てられることはないだろうといった安心感と信頼が常にありました。
先生との相性侮れない
実を言うと、私のコントラバス人生の中では、教授よりも、このクレメンスの影響の方がはるかに大きかったです。自分にとって良いと思える先生だと、素直になれるし、吸収できる量が大きく変わると実感しました。(それと同時に、その後私の先生となる、ヴェンケル教授の前では、なかなか素直になれなかった自分が残念でもありますが。。。)
何にせよ、力強いジャーマンボウの魅力を再発見できたし、やっぱりこれしかないという確信が今度は持てました。弓の持ち方や楽器の構え方も1からもう一度学びました。
弓の持ち方は、まあまあ特徴的
そしてこの弓の持ち方が、私のコントラバス人生を変えたといっても過言ではありません。ジャーマンボウの力強さは備えつつ、フレンチボウの特徴である(と、私は思っています)繊細で滑らかな音色、細かい動きも楽にできたのです。
弓の持ち方は、握手をする感じとよく言われます。私が学んだのはチェコ寄りの奏法で、鉛筆の持ち方に近いかも。フロッシュと竿の付け根のところが、人差し指の付け根のところに来て、最初はなかなか安定せずに、弓がすぐに滑り落ちるのです。( ; ; )
完全にマスターするまでに1年くらいかかり、練習中もしょっ中持ち方を直していたのを覚えています。今でもよく持ち直して確認しますが「なんか上手く弾けない」、「音が汚い」と思った時は、だいたい弓の持ち方がおかしくなっているのです。時間はかかったけど、可能性が広がったのでとても満足しています。
ドイツ人は理論派
ドイツ人は理論から入るタイプで、なぜここが弾けないのか、なぜこんな音が出るのか、なぜこの練習をするのか等、ちゃんと説明してくれました。私は、どちらかといえば器用な方で、見よう見まねでできてしまい、そこから先に進まず満足してしまう癖があり、感覚で弾かないと良い曲想は作れないとまで思っていたのです。
しかし、ドイツで理論から入るレッスンに慣れていくうちに、上達のスピードが上がるのを感じ、理論も同じくらい必要だとやっとこの時に気づきました。自分一人で練習するときも、弾くばかりの練習から弾く半分、楽器を置いて考える半分くらいの練習に変わっていきました。
コントラバス専攻性になるしか道はない
半年ほどクレメンスの元で学んだのですが、音楽学と同時にとっていた、一番やりたかった学科初等音楽教育が、器楽と声楽専攻生しか取れない科だと判明。(私、半年は音楽学と初等音楽教育で学生してたんですよ。。
ちゃんと認められて学生証ももらって。日本ではありえないですよね)ここで、もう私にはコントラバス専攻生になるしかなくなったのです。
きっと自分の心の奥底ではコントラバス専攻したかったのだろうけど、その時の私はそれに気づかず想定外の結果でした。でも、ここでコントラバスとの腐れ縁を確定してしまいました。
やっとまたコントラバス復活したものの、想像以上に厳しかった話に続く↓
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